祖母の介護レベルに驚きと納得
祖母は毎朝、仏壇にお供えするご飯を炊いたり、着替えもお風呂も自分でできます。
祖母の介護において、日常生活の動作を補助することはほとんどありません。
祖母自身が生活の不自由をあまり感じていないことは、介護レベル決定において影響があると感じました。

祖母の要介護認定は”1”
祖母の介護のレベルを母から聞きました。
なんと要介護1
受けた印象は「やはりそうか」
「ところで誰が要支援や要介護のレベルをつけてるの?」
と聞いたところ、第三者らしいです。
え?誰?
誰が決めてるの?介護レベルを決める“第三者”の存在
母とケアマネさんが面談した内容が書いてある記録を第三者が見るんですって。
そして、その方の判断で要介護のレベルが決定すると聞きました。
いかに祖母の介護が大変か、というアピールポイントはたくさんあるはずなんですけど、
祖母の場合、体は動くので要介護1だそうです。
介護認定申請の通知が来るまでの流れはコチラ
厄介な「忘れることを忘れる」状態
祖母は毎日のルーティンはこなせるのですが突発的な何かが起こった時は厄介なことになります。
実際あったこと①
自治会内でお葬式があった場合、お通夜は何時からあるかをご近所さんに聞きに行きます。
しかし、覚えられないので1時間おきに聞きに来るそうです。
しかも、覚えていないのはお通夜の時間ではなく、
「時間を聞きに来た」という動作自体を忘れているそうです。
実際にあったこと②
祖母の住んでいる自治会ではお地蔵さんの掃除があります。
年に何回か回ってくる当番制で、お隣さんとペアになって掃除をするルールです。
そして何時から掃除するかはペアで話し合って決めます。
祖母は何回も時間を聞きに行くんですが、当日はすっかり忘れて来ないそうです😭
そういう事情で母のお詫び行脚
母にとっては肉体的な疲れはないようですが精神的に疲れるそうです。
“身体”か“心”か?介護認定の基準はどこにあるのか
祖母とは逆で、頭はしっかりしているけど身体の調子が悪い方がいます。
腰が痛いせいで同じ姿勢を長時間保つことが難しいことから要介護4だそうですが、この結果にはその方の主治医も驚いていたそうです。
なので、人によって判断がまちまちだな~とは思いましたが、判断基準は介護を受ける当事者が生活にどれくらい支障がでているか。
祖母の場合、祖母自身は不自由を感じていませんが、周りが祖母の対応に追われています。
同じことを何回も言うこと以外はいつもの祖母。
祖母宅に介護支援センターと書かれたファイルがありました。
中身は施設へ行く日程と、ケアマネさんとの面談内容です。
「本人」と書かれた項目の横に祖母の意見が書かれてありました。
「大勢の人の中に入りたくない」そうです(笑)
そして祖母は面談したことを覚えていませんでした。
母の要望は「人に会っていつもと違う刺激を与えたい」
祖母と母、まったく意見の違う二人。
説得し、「じゃあ行くよ」となっても忘れる祖母。
認知症で“叩かれる”家族|それって本当に暴力なのか?
妹も私と同様、車で2時間弱のところに住んでいますが、
祖母の様子を見にちょくちょく地元に帰るようです。
母と妹と祖母で買い物に行ったときのこと。
祖母が母を叩いていたようです。
うそ!?
と思いました。
でも、認知症の人は健常者よりストレスを抱えやすいから、暴言や暴力などの行動が出やすくなるって聞いたことあるぞ(;・∀・)
私はこの話を聞いて翌日くらいに祖母の家に行ったんですが、祖母のデイサービスお試しDAYと被っていたため会えなかったんですよね😩
施設に行きたくないって言ってたのでまさか行くとは思わず、アポなしで突撃してしまいました(笑)
日を改め、娘と祖母宅を訪ねました。
今度はちゃんと電話して再会😊
しかし、電話があったことを忘れる祖母。
ギリギリ散歩時間前に到着(笑)
お土産のプリンを食べながらおしゃべりするんですが、話が途切れるたびに娘に対して
「あなた何年生?」
娘は同じ質問を何回も受けていましたが、あまり動じることなく祖母の写メを撮っていました(笑)
祖母は「撮らないで~」と言うんですが、
撮られている→「撮らないで~」というこの一連の流れを忘れるので何度もカメラ目線ばっちりの写メを撮られていました(;・∀・)
その度に叩かれる娘。
(あ!叩いた!妹が言っていたのはこれか?)と思いました。
母に対して、そして祖母からしたらひ孫に対しての叩くという行為。
娘は悪ふざけの末、祖母に「やめて」と腕を叩かれていました。
母に対しては?
介護サービスを利用してほしい、したくないで揉めている二人。
母が叩かれていた。ということは事実だとは思いますが、どんなシチュエーションだったんでしょう。
同じ叩かれたでも違うと感じました。
まとめ:祖母にとっての「日常」、家族にとっての「介護」
祖母自身は「まだ何でもできる」と思っています。
でも、周囲はいつも何かしら“対応”しています。
認知症の進行は、日常の中でゆっくり忍び寄ってくる。
「今日は叩かれなかった」ことが安堵になってしまう日が来るかもしれません。
でも、
同じ質問を繰り返しても、
また「撮らないで~」を繰り返しても、
その瞬間、祖母は笑っていました。

きっとそれが今の祖母の“幸せな時間”なんだろうなと思います。
介護とは、
誰かを世話することだけではなく、
「誰かの時間に、できるだけ笑顔を増やす努力」なのかもしれません。
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